吉野山千本桜

2007.4.3SYU−さん

トラピックス・日帰りバスツアーに参加して吉野山千本桜を観て来た。

京都を8時に出発して途中、奈良手前でトイレ休憩したが11時前には吉野山観光駐車場に着いた。添乗員の案内で蔵王堂(ザオウドウ)まで一行と同行する。蔵王堂にいたる参道には金峯山寺の総門である黒門、続いて銅の鳥居(カネノトリイ)がある。銅の鳥居は高さ7.m、東大寺・大仏さんの残りの銅で造ったという。金峯山寺(キンプセンジ)仁王門を通って蔵王堂へ出た。そこには、すでにベンチに座り桜を見ながら弁当を食べている方々が沢山居た。昨日までの黄砂の影響は無いが風は冷たいが空きベンチは無い。

 

      蔵王堂                 蔵王堂前の桜

(説明)金峯山とは吉野山から山上ケ岳(大峰山)をも含んだ山脈の総称で、万葉集には「御金の岳(ミカネノタケ)」の名で登場する古くからの霊山。7世紀末に修験道の開祖、役行者(エンノギョウジャ)が大峯山で感得した蔵王権現(ザオウゴンゲン)を自ら刻んで祀ったのが金峯山寺の起源という。そのシンボルが国宝の蔵王堂である。尾根道の高台に突き出た威風堂々のたたずまいは訪れる人を圧倒する。室町時代の再建で、高さ約34m、間口約36m、重層の入母屋造り桧皮葺き、東大寺の大仏殿につぐ大建築といわれる。

蔵王堂で15時まで自由解散となり一行と別れ、しばらく進むと東南院のしだれ桜などの近くに、添乗員から頂いた弁当持ち込み可能な休憩できる店が有り、そこで熱燗で一杯やりながら桜を愛でた。

 

    東南院のしだれ桜              休憩所から観た中千本の桜と如意輪寺遠望

(説明)東南院の開基も,修験の吉野山にふさわしく,役行者という伝承をもっているので,千三百年の歴史がある.奈良や比叡山など古い霊地霊山には,東南院あるいは東南寺という名の寺院があるのが普通で,これは,開基または始祖といわれる人が,その霊地を開くときに中心になる伽藍を立てると同時に,そこから巽(東南)の方角に当たる所に寺を建て,一山の興隆を祈願するということが行われていた.当院は,本堂・多宝塔・庫裡・客殿からなっているが,多宝塔は明治初年まで,紀州野上の八幡宮境内にあったものを,昭和十二年に当院へ移築したもので,正面の鰐口には永禄七年(一五六四)の銘があり,鎌倉期の作と伝えられる大日如来・毘沙門天・不動明王などが祀られている.

熱燗のお蔭で身体も十分ぬくもり元気が出てきた。中千本のハイキングコースなどを巡った後、吉水神社に参拝した。ここは源義経・静御前の悲恋の古跡、後醍醐天皇南朝の皇居、豊臣秀吉豪華花見の本陣とかで、なかなか由緒あるところということが分かった。特に後醍醐天皇が居られた書院玉座の間は印象に残った。そこを出ると一目千本という看板があり絶景の桜見所であった。しばらく桜に見惚れて15時に吉野山を後にして帰途に向かった。

  

     中千本ハイキングコース            吉水神社前             一目千本の看板横から観た桜

(説明)吉水神社は元吉水院と称し今から凡そ千三百年前、白鳳年間(650〜654年)に役行者の創立と伝えるきわめて古い吉野修験宗の僧坊であった。そして明治の初めまで永年の間幾多の歴史を秘めて修験道の勢力と共に発展して来たが明治維新の神仏分離の際(明治八年)神社と改まったものである。元より当社は南朝の元宮でありここに後醍醐天皇を祭神とし当時天皇の忠臣であった楠正成、吉水院宗信法印を合祀している。坂を上りきった門をくぐると右手に「一目千本」と書いた看板が目に入ってくる。この名所旧跡の「一目千本」からの景色に豊臣秀吉公は感動され「絶景じゃ!絶景じゃ!」と大声をあげ、まるで子供のようにはしゃがれたそうである。

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